茅ヶ崎市

茅ヶ崎市(ちがさきし)は、神奈川県中南部に位置し、相模湾に面した湘南地方の中心に位置する施行時特例市である。市名は中世以来の郷名による。

概要

相模川下流域の沖積平野に位置し、高座郡の内、旧茅ヶ崎村、鶴嶺村、松林村が合併し現茅ヶ崎市の原型である茅ヶ崎町が出来る。昭和30年の小出村の合併を加えほぼ現況に至る。高座郡の郡衙が茅ヶ崎北陵高校の地域にあったと推測されるが、発掘は近年であり現在に至る歴史の流れは掴めていない。

人口は平成25年度現在で236,677人で施行時特例市の一つである。気候は温暖で太平洋に面しているため、関東地方に於いて夏は高温になりにくく、冬は暖かい方である。そのためか東京、横浜のベッドタウンでも人気があり市制施行以来人口は一貫して増え続けている。繁華街は茅ケ崎駅南北周辺が主で小規模ながら活気はある。またマリンスポーツの盛んな地域の為、海沿いにかけてサーフショップが多い。また、いわゆる湘南らしさを求める住民が多いことから、輸入物などの個人経営の雑貨屋も南側に多く見られる。

また観光都市の側面も持っており湘南海岸の一翼を担い、夏には海水浴場としてサザンビーチちがさきがオープンし多くの海水浴客が訪れる。サーフィンやマリンスポーツをする人も一年を通して多く存在する。また市内の海岸線にはサイクリングロードが設けられ、マリンスポーツ以外にも多くの市民がサイクリングやジョギング、散歩を烏帽子岩、江ノ島や富士山、伊豆半島、伊豆大島を眺めながら楽しむことが出来る。また釣り船もあり、投げ釣り以外にも釣り客は多い。近年砂浜の侵食が激しいため、ヘッドランド(通称「Tバー」)と呼ばれる養浜施設が設けられ対応している。なお、Tバーはサーフィン、釣りの好スポットとなっている。海のレジャー以外にもゴルフ場も丘陵に2か所、海沿いに2か所ある。アウトドアでは平成25年に柳島キャンプ場がリニューアルオープンし、「茅産茅消」を謳う所謂地産地消型の食材が有り、また海沿いの好立地を活かし活況である。北部は相模原台地の丘陵地帯であり特別緑地保全地区の清水谷や市民の憩いの場である 神奈川県立茅ヶ崎里山公園を中心に里山の豊かな自然を残そうと努力している。その他市内に2ヶ所の温泉施設がある。

一方で住宅地の人口増加に伴い第一次産業従事者の数は減り続けている。特に平野部の田園地帯はほぼ姿を消した。また隣接する藤沢市や平塚市に比べ工場の数も少ないため、市内に於いて生産業に従事する者は多くない。海の日に関東三大奇祭である浜降祭が行われ茅ヶ崎の夏の訪れとなる。

市内の鉄道駅にJR東日本東海道線茅ケ崎駅がある。また茅ケ崎駅はJR東日本相模線の始発駅でもあり、同線北茅ケ崎駅、香川駅と市内に合計三駅存在する。核となる都市は茅ケ崎駅周辺であり行政、商業の中心地となっている。一方市内東部の住民は通勤通学に隣接する藤沢市の辻堂駅を利用する者も多い。特に辻堂駅再開発事業湘南C-Xには駅西口を中心に茅ヶ崎市も一部財源を負担している。また湘南ライフタウン付近の住民は辻堂駅以外にも小田急江ノ島線湘南台駅の利用が便利で直通のバスも出ている。

市内の道路は道が狭く、且つ東海道線南北の移動は概ね踏切が多いことも拍車をかけ国道134号線、新湘南バイパス、湘南新道[要曖昧さ回避]、神奈川県道46号相模原茅ヶ崎線を除き事情は良くない。特に行政・商業の中心となる茅ケ崎駅北側直ぐを通る国道1号線を筆頭に渋滞が多いため、自動車での移動に手間がかかる。一方で鉄砲道の全面開通を初め少しずつではあるが行政も改善の方向に向けているが遅々として進まないのが現状である。そのため自転車利用者が多いのも特徴であるが、近年の全国的な風潮としてマナーの悪さも目立つ為改善に向けて努力をしている。

歴史

縄文時代 – 北部堤に県内有数の規模を誇る堤貝塚がある。縄文時代後期(紀元前4000年から3500年)の集落址とされる。
飛鳥時代 – 北部の下寺尾には出土品その他から相模国最古の寺および郡衙があり、高座郡の行政の中心であったと推定されている。
長元3年(1030年) – 関東最古の源氏の氏社である鶴嶺八幡宮を創建。
長治元年(1104年)- – 鎌倉景正により藤沢市と共に大庭御厨成立。
平安時代 – 末期に関東武士団の大庭氏、懐島氏により新田開発が進む。
鎌倉時代 – 辻堂および茅ヶ崎東部沿岸を含む広域の地名で「八的ヶ原」(やまとがはら)[注釈 1] 後に、「八松ヶ原」(やつまつがはら)[注釈 2] と呼ばれる。
建久9年12月27日(ユリウス暦1199年1月25日) – 鎌倉幕府征夷大将軍源頼朝が相模川に懸けた橋の竣工式で落馬し、その怪我が元で翌年薨去したという伝説がある。
弘安4年(1281年) – 鎌倉幕府が元寇に対し、蒙古退散の祈祷を鶴嶺八幡宮にて行う。
戦国時代 後北条氏の支配地となり、玉縄城の管理下に置かれる。市内では代表的に小田原衆筆頭北条幻庵配下の新田(しんでん)氏が菱沼に172貫文、小机衆市野氏が赤羽根に20貫文等の知行を得ていた。
享保13年(1728年) – 享保の改革の一環で、相州炮術調練場を設置する。
1896年(明治29年) – 市内南湖に「東洋一」と謳われたサナトリウム南湖院が開院。国木田独歩等多くの著名人が入院した。(1945年閉鎖)
1898年(明治31年)6月15日 – 鉄道省東海道線の駅として茅ケ崎駅が開業。
ウィキソースに高座郡茅ヶ崎村鶴嶺村及松林村ヲ廢止茅ヶ崎町ヲ置クの神奈川県告示文があります。
ウィキソースに明治四十一年神奈川縣告示第百二十九號中改正の神奈川県告示文があります。
1908年(明治41年)10月1日 – 高座郡茅ヶ崎村、鶴嶺村および松林村と合併し、茅ヶ崎町となる。
駅名として広く知られているという理由から、新町名は茅ヶ崎町とした。町役場は南湖の金剛院に置く。人口は16,860人。
1911年(明治44年)8月 – 町役場が字梅田(元の茅ヶ崎村役場所在地。現在は茅ヶ崎商工会議所が所在)へ移転。
1921年(大正10年)9月28日 – 相模鉄道相模線が開業。
ウィキソースに茅ヶ崎市設置の内務省告示文があります。
1923年(大正12年)9月1日 – 関東大震災発生。茅ヶ崎駅舎、馬入橋の崩壊を筆頭に多くの建物が全壊し多大な被害が出る。
1945年(昭和20年)7月16日、17日 – 空襲。
1947年(昭和22年)10月1日 – 市制を施行し茅ヶ崎市となる。人口は43,315人。
ウィキソースに小出村大字堤、下寺尾、行谷及び芹沢を茅ケ崎市に編入する件の総理府告示文があります。
1955年(昭和30年)4月5日 – 高座郡小出村の一部を編入。
1963年(昭和38年)7月25日 – 寒川町との境界を変更する[1]。
1968年(昭和43年)11月1日 – 寒川町との境界を変更する[2]。
1974年(昭和49年)7月22日 – 市役所が現在地へ移転[3]。
1988年(昭和63年)3月30日 – 新湘南バイパスが開通する。
1989年(平成元年) – 人口が20万人を突破。
2003年(平成15年)4月1日 – 特例市となる[4]。
2013年(平成25年)4月14日 – さがみ縦貫道路が開通する。
2014年(平成26年)10月25日 – アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市域と姉妹都市提携。
戦前から戦後にかけては保養地、別荘地であったが、急速に東京、横浜のベッドタウンとして都市化が進行した。