箱根町

箱根町(はこねまち)は、神奈川県西部、箱根峠の東側に位置する町である。足柄下郡に属する。

概要

古くからの温泉町である。また、江戸時代には箱根関が置かれた地である。

温泉地としての評価は、江戸時代の温泉番付によると前頭格だった。戦後は、堤康次郎率いる国土計画・西武陣営(駿豆鉄道、現伊豆箱根鉄道等)と、五島慶太・安藤楢六率いる東急・小田急陣営(箱根登山鉄道等)によって「箱根山戦争」と揶揄される精力的な観光開発競争があり急速に発展、以後は日本を代表する温泉観光地として知られている。

なお、箱根温泉とは湯本、塔ノ沢、大平台、宮ノ下、小涌谷など町内にある温泉の総称である。

年明けの1月2、3日に行われる東京箱根間往復大学駅伝競走は長い歴史を持ち、数々の名勝負を生んだ正月の恒例行事であり、箱根が最も活気に溢れる。

2016年3月には芦ノ湖周辺が森林セラピー基地としての認定を受けた。

歴史

「箱根峠#歴史」、「箱根温泉#歴史」、「箱根関」、および「箱根宿」も参照
律令時代 – 東海道相模国足柄下郡に属す。
1180年8月 – 源頼朝が挙兵して序盤の戦いを石橋山で戦った。
「石橋山の戦い」を参照
江戸時代 – 徳川家康が江戸幕府を開くと、東海道を足柄峠経由から箱根峠経由に変更させ、現在の箱根町に当たる芦ノ湖畔に箱根関所を設置し、「入鉄砲に出女(武家の妻女)」を厳重に監視した。箱根宿三島町・芦川町は韮山代官所直轄の天領、箱根宿小田原町・新町・新谷町およびそれ以外の箱根町域のほとんどは、小田原藩領となる[1]。
1868年8月17日(慶応4年6月29日) – 箱根宿三島町・芦川町の民政一般が神奈川府の管轄となる。ただし一部事務などは韮山県が扱った[1]。
明治初年 – 箱根宿が箱根駅に改称。
1869年7月25日(明治2年6月17日) – 版籍奉還により、明治政府の行政区画としての小田原藩が成立する。
1871年8月29日(明治4年7月14日) – 廃藩置県により、小田原藩が廃止され、小田原県となる。
1871年(明治4年9月) – 韮山県廃止により、箱根駅が全面的に神奈川県の管轄となる。
1871年12月25日(明治4年11月14日) – 小田原県は廃止され、神奈川県管轄地域を含めた足柄下郡の全域が足柄県に属す[2]。
1876年(明治9年)4月18日 – 足柄県を分割し、これ以降は神奈川県に属する[3]。
1884年(明治17年) – 箱根駅、元箱根村および芦之湯村が「箱根駅外二ケ村」連合戸長制を敷く[1]。
1886年(明治19年)7月 – 函根離宮(現在の恩賜箱根公園)が竣工する。
1889年(明治22年)4月1日 – 町村制の施行で箱根駅、湯本村、温泉村、宮城野村、仙石原村、元箱根村、芦之湯村の1駅6村が発足する[4]。箱根駅、元箱根村および芦之湯村は、「箱根駅外二ヶ村組合」にて行政を行う[1]。
1892年(明治25年)10月29日 – 県治局長による内翰により、箱根駅が箱根町に改称する[4]。箱根駅外二ヶ村組合は、箱根町外二ヶ村組合となる。
1904年(明治37年) – 七湯経由の人力車道が足ノ湖畔まで開通する[1]。
1927年(昭和2年)10月1日 – 湯本村が町制施行し、湯本町となる[4]。
このころ、箱根山戦争が起きる。
1935年(昭和10年)2月 – 同年、横浜市で行われた「横浜復興記念博覧会」の第二会場として「箱根観光博覧会」が開催される。温泉館、水族館などがあり、今なお続く箱根の大名行列はこの博覧会のイベントとして始まった[5]。
1954年(昭和29年)1月1日 – 箱根町外二ヶ村組合の箱根町、元箱根村および芦之湯村が合併して、新たに箱根町となる。
1956年(昭和31年)9月30日 – 湯本町、温泉村、宮城野村、仙石原村および箱根町が合併して、新たに箱根町となる。
1976年(昭和51年) – 町民歌「和む光の」制定。