川崎市

川崎市(かわさきし)は神奈川県の北東部に位置する政令指定都市で、7区の行政区を持つ。

政令指定都市の中では最も面積が小さいが、人口は都道府県庁所在地以外の市の中では最大である。2017年4月26日には、4月24日現在の人口が1,500,052人に達したと発表した。

市内全域が旧武蔵国に含まれる。神奈川県内の市町村では唯一、相模国に属していた地域を含まない。

概要

政令指定都市20市の中で面積が最も小さい[1]。人口は25位の沖縄県を上回る150万人、2015年4月に京都市を抜き全国第7位の市となり、神奈川県内で横浜市に次いで2番目に人口が多く、非都道府県庁所在地の市では最大かつ唯一100万人を超えている。財政状況は良く、財政力指数は1.101(平成21年度)で政令指定都市では最も財政に余裕がある。

歴史

市成立前
原始以前
北西部の丘陵地帯に人が定住したのは古く、黒川などでは旧石器時代や縄文時代の遺跡が確認できる。しかし、多摩川沿いや臨海部の低地はかつて海底だった場所が多く、多摩川の堆積作用や海面の低下により徐々に陸地化が進んだ。

古代
7世紀に律令体制の整備により武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)の一部となり、奈良時代には現在の高津区に郡衙が置かれ、地域行政の中心になったと推定される。平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。

中世
前述の稲毛氏の一族稲毛三郎重成は源頼朝の御家人の1人となって活躍した。また大治3年(1128年)には川崎大師(平間寺)が建立され、門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。

近世
慶長16年(1611年)には小泉次大夫の指揮により二ヶ領用水が完成、中野島から大師・大島に至る多摩川流域平野のほぼ全域を流れ、農業生産力の向上をもたらした。二ヶ領用水で潤った水田で生産された米は稲毛米と呼ばれ、江戸で寿司飯として人気となる。また江戸幕府が成立したことで東海道や中原街道の重要性が高まり、川崎宿(現川崎駅周辺)の整備が進んだ。ただし、川崎宿が正式な宿場に指定されたのは東海道五十三次の中で最後となる元和9年(1623年)のことである。このとき多摩川の橋は流され、以後川崎宿は六郷の渡しの渡河点、及び川崎大師への玄関口として繁栄する。この他にも中原街道の丸子の渡し、大山街道の二子の渡し、津久井街道の登戸の渡しが整備され、いずれも後に東京都内への鉄道が建設される宿場町が形成された。

近代

京浜工業地帯
明治・大正期は川崎駅周辺で都市化が急速に進行する一方、丘陵地帯では従来の農山村も維持されていた。その後昭和前期になると鉄道路線の開業が相次ぎ、私鉄沿線には住宅地が、多摩川沿いの南武線沿線には主に工業地が展開した。

明治5年6月5日(1872年7月10日) – 日本最初の鉄道開業(現東海道線)に伴い川崎駅が設置される。その後、郵便・電気などの公共サービスが整備される。
1883年(明治16年) – 多摩川に六郷橋がかかる。
1889年(明治22年) – 町村制施行により、後の市域を形成する橘樹郡川崎町、及び12か村(うち2村は都筑郡)が成立。
1893年(明治26年) – 大師河原村(現川崎区)の当麻辰二郎が梨の新種「長十郎」を発見(ただし発見年には諸説あり)。
1899年(明治31年) – 大師電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)が大師線の一部を開業する。以後、品川や横浜に向けて路線を延長していく。
1910年(明治43年) – 日本蓄音機商会(現在は日本コロムビア)が川崎町で創業。
1912年(明治45年) – 神奈川県と東京府(現東京都)との境界が多摩川を境に整理される。
1912年(明治45年) – 日本鋼管(後にNKK、現在はJFEスチール)川崎製鉄所が設立。臨海部の工業化が開始される。
1914年(大正3年) – 川崎〜溝口(当時は高津村)間での乗合馬車運行が始まる。
1914年(大正3年) – 味の素川崎工場が設立。
1921年(大正10年) – 川崎町で上水道整備が始まる。
市成立後
近代
1924年(大正13年)7月1日 – 2町1村が合併して市制施行。市域は現在の川崎区西部と幸区東部。人口4万8394人。
1926年(大正15年)2月14日 – 東京横浜電鉄(現在の東急)東横線が小杉町内で開業。
1927年(昭和2年)3月9日 – 南武鉄道(現在のJR南武線)川崎駅 – 登戸駅が開業。
1927年(昭和2年)4月1日 – 小田急小田原線が全線開通、稲田登戸駅(現向ヶ丘遊園駅)が開業。
1927年(昭和2年)7月15日 – 玉川電気鉄道溝ノ口線(現東急田園都市線)開業。
1930年(昭和5年) – 富士瓦斯紡績(現在の富士紡ホールディングス)川崎工場での労働争議で煙突男が出現。
1934年(昭和9年) – 「川崎市歌」を制定。
1937年(昭和12年) – 陸軍の研究所が現多摩区の生田村(1938年に川崎市へ編入)へ移転。
1939年(昭和14年)4月1日 – 都筑郡の分割併合により埋立地を除き現在の市域が確定。
1944年(昭和19年)10月14日 – 川崎市電が開業。
1945年(昭和20年)4月15日 – 川崎大空襲。川崎駅周辺や臨海部の工業地帯、川崎大師などに大きな被害が出る。
現代
1946年(昭和21年) – 初の民選市長として金刺不二太郎が当選。
1947年(昭和22年) – 戦後第1回市議会招集。
1948年(昭和23年) – 現多摩区に日本女子大付属中学・高校が開設(現在の日本女子大学西生田キャンパス)。
1951年(昭和26年) – 現多摩区に明治大学生田校舎が開設。
1952年(昭和27年) – 現川崎区の富士見公園内に川崎球場(当時は川崎スタヂアム)が開場。
1952年(昭和27年) – 向ヶ丘遊園が遊具施設を充実し有料化。
1957年(昭和32年) – 現多摩区に専修大学生田校舎開設。
1957年(昭和32年) – 人口が50万人を突破。この頃から市北西部が首都圏住民の良好な住宅地として人気を博すようになり、政令市に指定されるまでに人口が急増する主因となった。このため、東京都心部へ向かう通勤・通学電車のラッシュは、全国有数の混雑となる。
1960年(昭和35年) – プロ野球・大洋ホエールズが日本シリーズで優勝し、市内でパレードを行う。
1964年(昭和39年) – 多摩区によみうりランドが開業する。西生田駅が読売ランド前駅に、東生田駅が生田駅に改称。
1966年(昭和41年) – 東急田園都市線溝の口駅 – 長津田駅が開業。
1967年(昭和42年) – 現多摩区に日本民家園が開園。公営施設としては北部地域初の大規模文化施設。
1967年(昭和42年) – 多摩区(現在の麻生区)東百合丘に調布学園女子短期大学が開設。
1968年(昭和43年)4月25日 – 東名高速道路が開通し、東名川崎IC(現宮前区)開設。
1968年(昭和43年) – 市営鷺沼プールがオープン。
1969年(昭和44年)4月1日 – 市電が全廃。
1971年(昭和46年) – 第2代の民選市長に伊藤三郎が当選し、革新自治体の一員となる。
1971年(昭和46年) – かわさきおやこ劇場設立
1971年(昭和46年) – 生田緑地に川崎市青少年科学館開設。
1971年(昭和46年) – 現宮前区菅生に聖マリアンナ医科大学開設。
1972年(昭和47年)4月1日 – 非道府県庁所在地では北九州市に次ぐ政令指定都市に指定され、5つの区が設けられる(川崎区、幸区、中原区、高津区、多摩区)。川崎市公害防止条例を施行する。夢見ヶ崎動物公園が開園。
1974年(昭和49年) – 人口が100万人を突破。
1974年(昭和49年) – 小田急多摩線が開通、新百合ヶ丘駅、五月台駅、栗平駅、黒川駅が開設。
1974年(昭和49年) – 多摩区(現麻生区)で京王相模原線に若葉台駅が開設。
1976年(昭和51年) – 全国に先駆けて「川崎市環境影響評価に関する条例」を制定し環境アセスメントを開始した。
1978年(昭和53年) – 大洋ホエールズの横浜移転により、ロッテオリオンズが川崎球場をフランチャイズとする。第1回かわさき市民祭りを開催。
1979年(昭和54年) – 政令指定都市移行を記念して高津区に川崎市民プラザ開設。
1980年(昭和55年) – 国鉄横須賀線の新川崎駅が開業、川崎駅を経由しなくなる。自動車の川崎ナンバーが誕生。
1982年(昭和57年) – 人口増加に伴い、高津区から宮前区を、多摩区から麻生区を分区し、7区制になる。
1982年(昭和57年) – 第1次川崎公害訴訟が提訴され、大気汚染について国や首都高速道路公団、各企業の責任が追及される。
1984年(昭和59年) – 「川崎市民の歌」を制作・発表。
1985年(昭和60年) – 川崎市男女共同社会をめざす計画を発表。
1986年(昭和61年) – 川崎駅東口に地下街川崎アゼリアが開業。
1986年(昭和61年) – 新百合ヶ丘駅前に日本映画学校が開校。
1987年(昭和62年) – 日本初のシネマコンプレックスと称するチネチッタが開業。
1988年(昭和63年) – 川崎駅西口の再開発を巡ってリクルート事件が発覚。当時の川崎市助役へのリクルート社からのリクルートコスモス株譲渡による利益供与が明らかになり、やがて中央政界に影響が波及する。川崎市市民ミュージアム・ふれあい館・産業振興会館を開館。
1989年(平成元年) – かながわサイエンスパーク(KSP)が高津区に設置される。
1989年(平成元年) – 4月11日に高津区のある竹林で1億円の札束が発見される(竹やぶ騒動)。
1990年(平成2年) – 市民オンブズマン制度が発足。
1991年(平成3年) – ロッテオリオンズが千葉に移転し、川崎球場を本拠とするプロ野球チームが消滅する。毎月1日を「ノーカーデー」と定める。
1992年(平成4年) – 新百合ヶ丘駅南口にエルミロードがオープンする。テナントのイトーヨーカドー新百合ヶ丘店は全国売り上げナンバーワンを記録。
1993年(平成5年) – Jリーグが開幕し、読売サッカークラブとして創立されたヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)が等々力陸上競技場を本拠地にする。ヴェルディ川崎は後期優勝。鹿島を下し、Jリーグ初代年間王者となる。
1994年(平成6年) – 市のシンボルマークが決まる。
1995年(平成7年) – とどろきアリーナがオープン。ポイ捨て禁止条例がスタート。
1996年(平成8年) – 市職員採用試験の国籍条項を撤廃。かわさき市民放送開局。外国人市民代表者会議を設置。
1997年(平成9年) – 富士通川崎サッカー部がプロ化し「川崎フロンターレ」誕生。
1997年(平成9年) – 東京湾アクアラインが開通。これにより千葉県とも隣接するようになった。
1998年(平成10年) – 麻生区の新百合ヶ丘駅周辺地区が、建設省の都市景観大賞を受賞する。
1999年(平成11年) – 川崎公害訴訟が和解により決着する。岡本太郎美術館がオープン。
2000年(平成12年) – 慶應義塾大学が新鶴見信号場跡地に新川崎タウンキャンパスを開設。
2000年(平成12年) – 川崎球場スタンド撤去工事。翌年改修工事終了。
2001年(平成13年) – 川崎市子どもの権利に関する条例を施行。
2002年(平成14年) – 川崎市行財政改革プランを発表。
2002年(平成14年) – シネマコンプレックスのチネチッタがラ チッタデッラとしてリニューアル。この頃から川崎駅周辺再開発が加速。
2002年(平成14年) – 向ヶ丘遊園閉園。
2003年(平成15年) – 高津区に「川崎市 子ども夢パーク」がオープン。
2004年(平成16年) – 麻生区に小田急多摩線はるひ野駅が開設。
2004年(平成16年) – 川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制度制定。
2004年(平成16年) – 川崎駅西口にミューザ川崎シンフォニーホールが開設される。
2005年(平成17年) – 川崎市路上喫煙の防止に関する条例を制定。路上喫煙重点禁止区域内での路上喫煙に過料2000円を課す事になった。
2006年(平成18年) – 多摩区に市立多摩病院が開院。
2006年(平成18年) – 川崎駅西口にラゾーナ川崎プラザが開業。
2007年(平成19年) – 麻生区に昭和音楽大学が厚木市から移転。
2007年(平成19年) – 麻生区に川崎市アートセンターオープン。
2007年(平成19年) – 第3回アメリカンフットボール・ワールドカップが開催される。
2007年(平成19年) – 成人ぜんそく患者医療費助成制度が開始される。
2008年(平成20年) – 東京急行電鉄が同市から購入した宮前区内の土地の土壌汚染に関して、同市が搬入した焼却灰に原因があると東急から訴えられ、公害等調整委員会は、同市に損害賠償の支払いを命じる。
2011年(平成23年) – 多摩区に藤子・F・不二雄ミュージアム開館。
2011年 (平成23年) - モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン・イン・かわさきが市民の誘致により実現。2014年まで実施
2012年(平成24年) – ドラえもん誕生100年前を記念し、ドラえもんに「特別住民票」を交付。
2014年(平成26年) – 川崎球場が川崎富士見球技場に改称。
2015年(平成27年) – 川崎市中1男子生徒殺害事件が発生。
2016年(平成28年) –南武線小田栄駅が開業。
2017年(平成29年) -人口が150万人を突破。