杉戸町

概要

杉戸町(すぎとまち)は、埼玉県の東部にある人口約4万6千人の町。

歴史

古代から中世までは下総国葛飾郡に属す。かつての日光街道の宿場町。
1616年(元和2年) – 杉戸宿が設置される。明治までの詳細は杉戸宿を参照のこと。
1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) – 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
1872年(明治5年) – 杉戸郵便局が開局する。
1874年(明治7年) – 杉戸宿横町の宝性院[2]を間借りして杉戸学校(現在の杉戸町立杉戸小学校)が開校する[3][4]。
1876年(明治9年) – 上木津内村と下木津内村が合併し、木津内村となる。
1877年(明治10年) – 安戸村・上戸村・大島新田が合併し、戸島村となる。安戸村字二本木・二本木裏・二本木前・庄兵衛・浮張・内土腐・大島新田字北天神・弁天・中水尾・南天神・六八・稲荷は現在大字本島となり、それ以外の区域は幸手市大字戸島となっている。
1879年(明治12年) – 杉戸宿横町の宝性院を間借りして北葛飾郡役所と中葛飾郡役所が設置される[5]。
1881年(明治14年) – 北葛飾郡役所と中葛飾郡役所が清地村[6][5]に移転する。
1882年(明治15年) – 杉戸警察署が設置される[7][8][9]。
1888年(明治21年) – 消防組合が開設される。
1889年(明治22年)
4月1日
北葛飾郡杉戸宿・清地村・倉松村が合併し、北葛飾郡杉戸町となる。杉戸宿新町の東福寺[10]境内に杉戸町役場を設置する[11][8][9]。
北葛飾郡遠野村・広戸沼村・佐左ヱ門村・並塚村・才羽村・北蓮沼村・大塚村が合併し、北葛飾郡田宮村となる。
北葛飾郡堤根村・本郷村が合併し、北葛飾郡堤郷村となる。
北葛飾郡下高野村・下野村・大島村・茨島村が合併し、北葛飾郡高野村となる。
北葛飾郡戸島村・吉野村・平須賀村・長間村・中野村・平野村・神扇村・天神島村が合併し、北葛飾郡八代村となる(戸島の一部・吉野・平須賀・長間・中野・平野・神扇・天神島は現在幸手市)。
中葛飾郡木崎村・芦橋村・倉常村・屏風村・深輪村・椿村・細野村が合併し、中葛飾郡桜井村となる(木崎・芦橋・倉常は現在春日部市、細野は現在幸手市)。
中葛飾郡目沼村・木津内村・宮前村・鷲巣村・木野川村・中島村・花島村・槙野地村が合併して中葛飾郡豊岡村となる(中島・花島・槙野地は現在幸手市)。
小学校が尋常高等小学校となる。
1896年(明治29年)3月29日 – 中葛飾郡が北葛飾郡に編入する。
1899年(明治32年) – 杉戸駅が開業する。
1900年(明治33年)10月14日 – 杉戸銀行が設立される。  
1907年(明治40年) – 杉戸町商工会が組織される。
1909年(明治42年) – 隔離病舎が清地に建設される。
1910年(明治43年) – 利根川堤防の破堤による関東大水害が発生し、大水が発生する。
1917年(大正6年) – 北葛飾郡桜井村大字細野を北葛飾郡吉田村に編入する。
1921年(大正10年) – 杉戸町の27軒に電話が引かれる。
1922年(大正11年) – 杉戸農業学校が開校する。
1923年(大正12年) – 関東大震災により杉戸小学校の校舎が被災し、損壊する。
1925年(大正14年) – ラジオ放送が開始される。
1926年(大正15年) – 北葛飾郡役所が廃止される[5]。
1928年(昭和3年) – バス路線が開通する。
1929年(昭和4年) – 東武日光線が開通する。
1940年(昭和15年) – 杉戸高等家政女学校が開校する。
1945年(昭和20年)7月10日 – 正午頃、米軍機から投下された焼夷弾によって清地の杉戸高等家政女学校が罹災し、教員生徒8名が死亡[12]。
1946年(昭和21年) – 農地改革が開始される。
1947年(昭和22年)
カスリーン台風により利根川の堤防が破堤し、水害が発生する。
新制中学(杉戸中学校、田宮中学校、桜岡中学校、高野中学校、堤郷中学校)が開校する。
江戸川の土手が拡幅される。
桜井村村議会に女性議員が誕生する。
1948年(昭和23年) – 杉戸農業学校が杉戸高等家政女学校を併せ、埼玉県立杉戸農業高等学校となる。
1950年(昭和25年) – 江戸川堤防拡幅工事が着工される。
1955年(昭和30年)
2月11日、北葛飾郡杉戸町・田宮村・堤郷村・高野村が合併し、杉戸町となる。
4月1日
北葛飾郡桜井村と豊岡村の一部(目沼・木津内・宮前・鷲巣・木野川)が合併し、北葛飾郡泉村となる。
北葛飾郡八代村・豊岡村の残り(中島・花島・槙野地・西関宿)が北葛飾郡幸手町と合併する。
1956年(昭和31年)
1月1日、北葛飾郡幸手町大字戸島字弁天、北天神、中水尾、南天神、六八、稲荷、浮張、内土腐、二本木、庄兵衛、二本木前及二本木裏の区域を編入し、大字本島を設置する。
2月14日 – 杉戸町議会が最初の杉戸町章を承認する[13]。
9月1日 – 北葛飾郡幸手町大字戸島字戍高入の区域を大字本島に編入する。
1957年(昭和32年)
7月17日 – 北葛飾郡泉村を編入する。
有線放送が開始される。
1958年(昭和33年) 杉戸駅 – 西宝珠花間のバス路線が開通する。
1959年(昭和34年)
水道が整備される。
古川橋が改築される。
1960年(昭和35年)
11月3日、大字木崎、芦橋、倉常が杉戸町から分離し、北葛飾郡庄和村(現・春日部市)に編入される。
田宮中学校と桜岡中学校が統合され、東中学校となる。
国勢調査による杉戸町の人口が1万6457人を数える。
町営住宅が清地に建設される。
1963年(昭和38年)
杉戸町役場の新庁舎が竣工し、杉戸農業高校付近から移転する[11]。
上原会館が寄贈される[9]。
1964年(昭和39年) – 杉戸町内田にペトリカメラ埼玉工場が建設される。
1966年(昭和41年) – 屎尿処理場の利用が開始される。
1967年(昭和42年) – 電話がダイヤル式となる。
1968年(昭和43年)
ごみ処理場が開始される。
「広報すぎと」の改訂第一号が発行される。
1969年(昭和44年) – 桜井小学校と豊岡小学校が統合され、泉小学校となる。
1970年(昭和45年)
杉戸町の人口が2万人を数える。
町総合振興計画が開始される。
都市計画法による線引きがなされる。
1974年(昭和49年) – 学校給食センターを杉戸町大字清地1777に開設する[14]。
1975年(昭和50年)
杉戸町消防本部が設置される。
ペトリカメラ埼玉工場が杉戸町杉戸に移転する。
1976年(昭和51年)

旧・杉戸町章
1976年(昭和51年)1月27日告示[13] 1月27日 – 旧・杉戸町章が若干意匠を変更した上で正式に告示される[13]。
杉戸町消防署が開署される。
杉戸町の人口が3万人を数える。
1977年(昭和52年)
3月 – 杉戸町内田のペトリカメラ埼玉工場跡地に日本住宅公団杉戸内田団地[15]が開設される。
4月1日 – 北小学校および杉戸小学校学区のうち清地・倉松地区を併せ、杉戸第二小学校が開校する。
埼玉県立杉戸高等学校が開校する。
救急業務が開始される。
1979年(昭和54年)
東小学校および南小学校が統合され、杉戸第三小学校が開校する。
東和大付属昌平高等学校が開校する。
4月1日 – 杉戸町の町民憲章・木(杉)・花(菊)が制定される。
1980年(昭和55年)
中央公民館が開館する。
西地区特定土地区画整理事業が認可される。
第1回町民体育祭が開催される。
1981年(昭和56年)
泉公民館が開館する。
杉戸駅が東武動物公園駅へと改称される。
第2次町総合振興計画が開始される。
1982年(昭和57年)
広島中学校が開校する。
消防庁舎が竣工する。
万年橋が開通する。
1983年(昭和58年) – 東公民館および南公民館が開館する。
1984年(昭和59年)3月 – 国道4号春日部古河バイパス開通。
1985年(昭和60年) – 保健センターが開設される。
1986年(昭和61年)
5月1日 – 杉戸西近隣公園が開園する。
8月26日 – 東武日光線杉戸高野台駅開業。
1987年(昭和62年) – 西地区特定区画整理事業が完了する。
1988年(昭和63年)
杉戸消防署泉出張所が開設される。
清地橋が改築される。
1989年(平成元年)
町制施行100年を迎え、記念式典などの催しが行われる。
宮東橋が改築される。
都市計画道路が決定される。
1990年(平成2年)
4月1日 – 倉松公園が開園する。
4月1日 – 2代目となる現行の町章が制定される。
西公民館が開館する。
杉戸町の人口が4万人を数える。
第3次町総合振興計画が開始される。
万願寺橋が改築される。
公共下水道の一部供用が開始される。
国土利用計画がまとまる。
1991年(平成3年) – 第一回敬老まつりが開催される。
1992年(平成4年) – 第一回子ども議会が開催される。
1993年(平成5年)
高齢者事業団が設立される。
「心学の道」が竣工する。
印鑑登録がカード化される。
かまくらサイクリングロードが竣工する。
大膳堀親水路が竣工する。
1994年(平成6年)
すぎとピアが開設される。
高野台小学校が開校する。
第3次町総合振興計画が改定される。
市民農園が開設される。
1995年(平成7年)
大島新田調節池が整備される。
平和都市宣言がなされる。
環境センターの建設が着工される。
1996年(平成8年)
リサイクルセンターが稼働する。
戸籍事務が電子化される。
国際交流協会が設立される。
オーストラリア・バッセルトンシャイヤーと姉妹都市提携を行う。
1997年(平成9年)
杉戸町環境センターが開設される。
エコ・スポいずみが開設される。
都市計画マスタープランを策定する。
1998年(平成10年)
高野台保育園が開園する。
町民サービスコーナーが開始される。
オーストラリア・バッセルトンシャイヤーに日本庭園が整備される。
全町図書館ネットワークサービスが開始される。
田園都市づくり協議会による公共施設の相互利用が開始される。
農業公園整備計画が策定される。
1999年(平成11年)
子ども憲章「すぎの子憲章」が制定される。
都市計画道路東武動物公園駅東口通り線(第一期)が完成する。
倉松公園橋が開通する。
東部中央都市連絡協議会による公共施設の相互利用が開始される。
幸手市との広域屎尿処理が調印される。
日光街道杉戸宿みなみがわ散策道(南側用水路)にポケットパークが開園する。
2000年(平成12年)
深輪工業団地が開設される。
埼玉ふるさと自慢100選に「古利根川流灯まつり」が選択される。
杉戸町非行防止教育サミットが開催される。
エコ・スポいずみの来場者が40万人を超える。
オーストラリア姉妹都市賞、姉妹都市ユース賞を受賞する。
第4次町総合振興計画および第2次杉戸町国土利用計画が策定される。
2001年(平成13年)
4月 – 学校給食センターを旧・桜井小学校跡地の杉戸町椿349に移転[16]。
4月28日 – 埼葛広域農道にまちの駅「アグリパークゆめすぎと」が開駅。
第4次町総合振興計画が開始される。
模擬女性会議が開催される。
埼玉県植樹祭が開催される。
オーストラリア姉妹都市国際会議に参加する。
上原会館を解体する。跡地付近に上原会館記念碑が設置される[9]。
2002年(平成14年)8月13日
「アグリパークゆめすぎと」が道の駅に登録される。
可燃ごみ処理の事務委託が幸手市と調印される。
幼児園構想基本計画が策定される。
生涯学習センター整備事業にPFI手法が導入される。
起業支援のためのソプレ・SUGITOが開設される。
エコ・スポいずみの来場者が70万人を超える。
2003年(平成15年)
杉戸深輪産業団地地区センターが開設される。
杉戸町環境基本計画が策定される。
姉妹都市バッセルトンシャイヤーとの交流コンサートが開催される。
杉戸町ミニ国体(グラウンドゴルフおよび少年少女ソフトテニス)が開催される。
2012年(平成24年)
7月 – 埼玉利根保健医療圏医療連携推進協議会による「とねっと」の本格運用が開始される。
2013年(平成25年)
4月1日 – 消防が広域化し、埼玉東部消防組合となる。
2016年4月1日 – 旧・給食センターと杉戸町老人憩いの家の跡地に杉戸町立中央第二幼稚園・東幼稚園・南幼稚園を統合した複合施設「杉戸町立すぎと幼稚園・すぎと保育園」(杉戸町大字清地1768-3)が開園する[17]。
大字(町)の個数
杉戸町
杉戸 高野 堤郷 田宮 桜井 豊岡
昭和30年代後半 4大字 4大字 2大字 7大字 3大字 5大字
平成19年 4大字22町 4大字13町 2大字 7大字 3大字 5大字
市町村合併
当町では、春日部市と周辺の町との市町村合併が予定されていた。現在、住民投票(後述)の結果を受けて、合併協議は凍結となっている。

当初隣接する春日部市と宮代町、庄和町(当時)を加えた1市3町と共に、県東部の中核市を目指すために2005年3月31日より新設合併、新たな「春日部市」となる予定であった。2003年4月1日に法定合併協議会を杉戸町役場内に設置、協議は順調に進んでいき、あとは住民の意思を問うため、1市3町で一斉に住民投票を執行、結果を待つだけとなった。ところが、2004年7月11日に執行されたその結果、春日部市と当町、庄和町(当時)は「賛成」が上回ったが、宮代町は「反対」が上回った。結果を尊重とするとしたため、宮代町はこの結果を受けて「単独でやる」と表明した。そのため2004年9月30日をもって法定合併協議会を廃止、1市3町での合併は白紙となった。その後、春日部市や庄和町(当時)から宮代町を除いた1市2町の合併を要望されていたが、議員の賛同が得られないことを理由に拒否された。また宮代町から2町の合併を目的に合併協議会の設置を求められたが、2町で行われた合併協議案設置議案の採決で、杉戸町議会では賛成多数で可決となったが、宮代町議会では反対多数で否決となり、実現することはなかった。結果的に当町は現時点において、これ以上の合併協議が進めることが出来ないため、宮代町とともに単独で行うこととなった。一方で春日部市と庄和町(当時)は、2005年10月1日に新設合併し、新たな「春日部市」となった。
合併協議が暫く行われていなかったなかで2007年に執行された杉戸町長選挙では、春日部市との合併を推進する候補が、現職(当時)を破って当選した。しかし、就任4ヶ月後である2007年8月26日に執行された春日部市と合併することについて町民の意思を問う住民投票で、2004年の住民投票の結果と反して「反対」を上回った。結局合併協議は休止されることとなった。
宮代町は2008年9月29日に町民が春日部市・杉戸町の枠組みでの合併の請願を賛成多数で可決し、三度合併に向けて再び動き始めた。春日部市と当町、宮代町の1市2町で研究会を設置し、2010年3月31日までに編入合併、「春日部市」となる予定であった。しかし、2009年5月17日に当町で行われた杉戸町が春日部市及び宮代町と合併することの是非に関する住民投票 で、前回に次いで「反対」を上回った。この結果を受けて、当町は研究会を離脱することになった。その後研究会は廃止され、1市2町での合併は再び白紙となった。当町では、当面は引き続き単独で行うこととなり、春日部市、宮代町と広域的な連携を進めていく予定である。なお町長(当時)は、この結果の責任をもって退職することを発表した。人口が5万人を超えた場合は単独で市制施行し、杉戸市になることも検討している。