袖ヶ浦市

概要

袖ケ浦市(そでがうらし)は、千葉県のほぼ中央にあり東京湾に面した市。財政の豊かさは、千葉県内で浦安市、成田市に次ぐ3番目である。

歴史

「古事記」によれば、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が相模国から東征の折り、走水(東京湾)を渡る際、大時化に遭い、そのとき妃の弟橘媛(オトタチバナヒメ)が海中に身を投じて海神の怒りを鎮め、尊の渡海を助ける。その妃の袖が海岸一帯に流れついたという伝説から、東京湾の千葉県側の海岸が「袖ヶ浦」の雅称で呼ばれるようになった。これが袖ケ浦市の名称の起源であるが、本来の袖ヶ浦の範囲は現在の袖ケ浦市よりはるかに広く、習志野市の臨海部の埋立地の一部にも、袖ヶ浦の地名がつけられている。

この日本武尊の伝説による地名は、袖ケ浦市のみならず近隣の更津市と君津市と富津市になど至るまで、市名または市内地名(地番)に伝説として名前を残しているものも多い。

また、延喜式にも飫富神社とその名の記載がある飽富神社では、現在でも毎年1月にその年の農作物の出来を占う筒粥の儀式が執り行われている。 同じ筒粥は、國勝神社でも1月に行われる。

現在は京葉工業地域の一部で工業地帯となっている臨海部は、埋め立て以前はJR内房線の線路付近から海が広がり、海苔養殖が盛んに行われていた。養殖海苔の大半を占める主要品種であるナラワスサビノリの名称は、当市奈良輪で発見、選抜されたことから名付けられたものである。

1997年に隣の木更津市〜神奈川県川崎市に東京湾アクアラインが開通し、木更津市に隣接する自治体として東京湾アクアライン経由による神奈川県や東京都へのアクセスの利便性や不動産価格の安さによる、ベッドタウンとしての移住者で木更津市とともに近年に人口が大幅に増加した経緯がある。 当市には東京湾アクアラインと連絡する東京湾アクアライン連絡道(アクア連絡道)が通り、当市内に袖ケ浦インターチェンジがある。袖ケ浦インターチェンジ付近には袖ケ浦バスターミナルが存在し、アクアライン経由の高速バスが多数発着する。 アクアライン開通の1997年までに館山自動車道(館山自動車道)及び東京湾アクアライン連絡道(アクア連絡道)の当市内区間が完成し、東京湾アクアライン開通後の2007年に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の当市内区間が完成し、高速道路網が全通した。

沿革
現在の袖ケ浦市は、1971年に新設合併で誕生した2代目の袖ヶ浦町が市制施行したものであるが、ここでは前身となった旧袖ヶ浦町についても述べる[1]。

1955年(昭和30年)3月31日 – 君津郡昭和町、長浦村、根形村の一部(岩井、谷中、三黒)が合併して袖ヶ浦町(初代)を新設。
1971年(昭和46年)11月3日 – 袖ヶ浦町、平川町が合併し、改めて袖ヶ浦町(2代目)を新設。
1991年(平成3年)4月1日 – 袖ヶ浦町が市制施行し、袖ケ浦市となる。このとき、大きい「ケ」を採用するようになった。