船橋市

概要

船橋市(ふなばしし)は千葉県北西部の葛南地域に位置する市。 2003年(平成15年)4月1日に中核市へ移行しており、2012年(平成24年)4月1日に熊本市の政令指定都市への移行以後は中核市最大の人口を擁する[2]。 また、千葉市に次いで千葉県では人口第2位である。東京都特別区部への通勤率は35.7%(平成22年国勢調査)

歴史

市名
市名は直接には、市成立以前の船橋町にちなむ。船橋の地名の起源については諸説あるが、伝説では日本武尊が東征の折、川を渡るために船で橋を作ったのが由来とされている。市内を流れる海老川に船を並べ、その上に板を渡し橋を造った。そのような船で造られた橋のことを「船橋」ということから船橋となった、というのが最も有力な説である。海老川はかつて現在よりも水量、川幅があったとされ、現在は陸地であるが夏見干潟と呼ばれる大きな入り江があり、湊として栄えていたという。
船橋という地名が世間で用いられるようになったのは鎌倉時代とされており、同時代の歴史書「吾妻鏡」に「船橋」という地名が出てくる。
沿革(概略)
※ 本節では大観のみ記述する。地域ごとに独自色が強いので、詳細な歴史記述は旧町村の記事を参照
海老ヶ作遺跡や高根木戸貝塚など規模の大きな貝塚が発見されていることから、縄文時代からかなり大きな集落が存在していたと思われる。
平安時代中期の『日本三代実録』に「下総の国意富比神」とみえる。この意富比(おおい)神社が船橋大神宮の前身とされる。
中世には海老川河口の港として交通の要地となり、また意富比神社の門前には市が立って大変な賑わいを見せた。
近世には房総往還・御成街道・佐倉街道などの主要街道沿いの地域は間の宿として栄えた。特に、成田山信仰が盛んとなると、成田山への参拝客の休憩地として一層発展した。
近代になると、川端康成の書いた小説に『船橋は兵隊の町』と書かれている通り、間の宿に代わり、軍都習志野の近郊都市として、兵隊・軍属相手の産業が発達した。また、都市部では、東京の近郊都市として近代化が進み、電気・通信・交通・医療などの各方面のインフラが整備され、花輪や宮本などの海岸部には高級別荘地として山崎別荘が造成された。
敗戦直後、戦災を免れた上に物資の集散地だったことから、闇市が隆盛を極め、「日本の上海」という異名をつけられたこともある。
戦時中から東京方面の軍事工場が疎開していたが、戦後の経済成長の中で、海岸部埋立地には京葉工業地域が成立した。
市制施行は千葉、銚子、市川に続く4番目であった。
1960年完成の公団住宅前原団地の建設を契機に内陸部には多くの住宅団地が開発され、東京のベッドタウンとして人口が増加した。
年表
先史時代
有史以前 – 富士山や赤城山、筑波山などの噴火活動と地殻変動によって、陸地が形成された。その後、東京湾沿いの台地が海水や雨水などによって侵食され谷津地形が形成された。
旧石器時代 – 市域の下総台地上には、複数の竪穴式住居址や貝塚が見られることから3万年ほど前に居住者がいたと考えられている。
西ノ台遺跡(二和西)・法華経寺山遺跡(藤原)・ 八人割遺跡(藤原町)・下郷後遺跡(藤原)
縄文から奈良時代まで
縄文時代

早期 – 佐倉道南遺跡(前原)・飛ノ台貝塚(海神)などの遺跡が見られる。
前期 – 西ノ台遺跡(二和西)・飯山満東遺跡(芝山)・古和田台遺跡(新高根)・法蓮寺山遺跡(藤原)・下郷後遺跡(藤原)・八栄北遺跡などの遺跡が見られる。
中期 – 海老ヶ作遺跡(大穴町)・高根木戸遺跡(西習志野)・高根木戸北遺跡(西習志野)・沢之台遺跡(七林町)・中野木台遺跡(中野木町)・飯山満東遺跡(芝山)・中野木新山遺跡(中野木町)・飯山満台遺跡などの遺跡が見られる。
後期 – 古作貝塚(古作町)・宮本台遺跡(東船橋)・薬園台遺跡(薬円台)・池谷津遺跡(小室)・金堀台貝塚(豊富町)などの遺跡が見られる。
末期 – 金堀台貝塚(豊富町)・池谷遺跡(小室)などの遺跡が見られる。
弥生時代

中期 – 法蓮寺山遺跡(藤原)などの遺跡が見られる。
西暦110年(景行天皇40年) – 意富比神社が創建される。
後期 – 夏見台遺跡(夏見台)・夏見大塚遺跡(夏見台)・立場遺跡(金杉)などの遺跡が見られる。
古墳時代 – 総国の千葉国造と印波国造の所轄となる。

前期 – 西ノ台遺跡(二和西)などの遺跡が見られる。
中期 – 外原遺跡(田喜野井)・柏上遺跡(八木ヶ谷)・夏見台遺跡(夏見台)などの遺跡が見られる。
後期 – 夏見台遺跡(夏見台)・小室遺跡(小室)・海神台西遺跡(海神)・印内台遺跡(印内)
飛鳥時代 – 兵部省所管の大結馬牧が夏見付近に設置される。
奈良時代 – 印内台遺跡(印内)・夏見台遺跡(夏見台)・本郷台遺跡(西船)・海神台西遺跡(海神)などの遺跡が見られる。

645年 – 大化の改新後、市南部及び中部・東部(元禄以後、千葉郡となる)は下総国葛飾郡に、北部は千葉郡の管轄となる。
平安から戦国時代まで
平安時代

前期 – 夏見台遺跡(夏見台)・夏見大塚遺跡(夏見台)・印内台遺跡(印内)・印内遺跡(印内)・本郷台遺跡(西船)・本郷台遺跡(西船)・海神大西遺跡(海神)などの遺跡が見られる。
863年(貞観5年) – 『日本三代実録』に「下総国意富比神社」の名が見られる。
927年(延長5年) – この年に成立した『延喜式』に「意富比神社」・「二宮神社(論社)」の名が見られる。
935年(承平5年) – この年に成立した「倭名類衆抄」の郷名に「栗原郷」の名が見られる。
2月 – 平将門の乱が起こる。市内各地に将門伝説が伝わる。
1138年(保延4年) – 海老川流域の湊郷、夏見郷、金曾木郷、宮本郷、高根郷が伊勢神宮の御厨(夏見御厨|船橋御厨)となる。御厨内に夏見神明社・豊受神社[要曖昧さ回避]などが創建される。
1186年(文治2年) – 『吾妻鏡』によれば船橋御厨が伊勢神宮の御厨から白河院領となる。
鎌倉時代

12世紀末 – 豊富地区の一部が萱田神保御厨(臼井氏の荘園)となる。
14世紀 – 歴史書「吾妻鏡」で、船橋という地名がはじめて現れる。
1331年(元徳3年) – 『中山法華経寺文書』に「古牟呂村」(小室村)の名が見られる。
室町時代・戦国時代

南北朝時代から室町時代にかけて市域の西部・北部は、法華経寺領(千葉胤貞より移譲)、東部は馬加氏(馬加城主)の領地となる
戦国時代前後、市域を含む下総国西部が千葉氏家臣の原氏(生実城主)の領地となる。
1410年(応永17年) – 『浄光院文書』に「大神保村」の名が見られる。
1423年(応永30年) – 御滝山金蔵寺開山。
1445年(文安2年) – 「下総三山の七年祭り」の祭礼の元となった磯出祭りが行われるようになる。
1563年・1564年(永禄6年・永禄7年) – 小金原(習志野台)で第二次国府台合戦の小競り合いが起きる。
1566年(永禄9年) – 上杉謙信の攻勢に伴い、原氏が臼井城に拠点を移動。栗原・船橋の領地が高城氏(小金城主)に移譲される。
1568年(永禄11年) – 北条氏の豪族に攻撃され、夏見城(現:長福寺)が落城。
桃山から江戸時代まで
船橋市(江戸時代の村界).JPG
桃山時代

1578年(天正6年) – 領主の高城胤辰が船橋大神宮の門前町の自治を許す。
1590年(天正18年) – 北条氏滅亡に伴い、徳川氏が関東に入府。武田信吉の領地となる。幕府によって、市域中部一帯に小金牧が設置される。
江戸時代

武田信吉の佐倉藩転封後、栗原藩を除き、主要な街道筋は天領・その他は旗本の知行地として分割統治される。
1600年(慶長5年) – 徳川氏の家臣である成瀬氏が関ヶ原の戦いの戦功による加増で大名に列せられ、栗原(現在の本中山・西船付近)に陣屋を置く(栗原藩)。
1614年(慶長19年) – 東金での鷹狩を目的に御成街道が整備される。船橋御殿(現・船橋東照宮近辺)がつくられる。
1615年(元和元年) – 徳川家康・秀忠一行が船橋御殿に宿泊、献魚の功から船橋浦が御菜浦(専用磯魚場)に指定される。
1638年(寛永15年) – 藩主・成瀬氏の断絶によって、栗原藩が改易される。
1674年から1678年(延宝2年-延宝6年) – 小金牧の一部が開墾され、神保新田・前原新田・滝台新田・上山新田・藤原新田・丸山新田・行田新田の7ヵ村が新たに開村。
1703年(元禄16年) – 元禄大地震によって、船橋浦の海底が変化、良好な魚場環境が失われ、漁獲量が大幅に減少。献魚から金納に転換するが御菜浦の権威が失墜し、密猟者が急増。1874年(明治7年)に永代が廃止されるまで、魚場争いが熾烈となる。
1721年(享保6年) – 船橋の幕府試砲台場(現:了源寺)で、大砲の試射が行われる。
1722年(享保7年) – 享保改革の一環として、丹羽正伯と桐山太右衛門によって、下総小金野薬園が開設される(後の薬園台新田)。
1725年(享保9年) – 第1回徳川将軍家小金原御鹿狩(ししかり)が行われる(徳川吉宗)。
1726年(享保11年) – 第2回徳川将軍家小金原御鹿狩が行われる(徳川吉宗)。
1785年(天明5年) – 西海神浜で塩田業が本格化する。
1795年(寛政7年) – 第3回徳川将軍家小金原御鹿狩が行われる(徳川家斉)。
1824年(文政7年) – 船橋漁師と猫実・東宇喜田漁師が漁場で乱闘となり、船橋漁師総代が入牢され獄死する。
1849年(嘉永2年) – 第4回徳川将軍家小金原御鹿狩が行われる(徳川家慶)。
明治から大戦まで
船橋市(市制以前の町村界).JPG 船橋町葛飾町法典村塚田村八栄村二宮町豊富村
1868年(慶応4年/) – 戊辰戦争に伴う船橋の戦いで船橋大神宮周辺・馬込沢台・海神方面で戦闘が発生、本陣があった大神宮をはじめ船橋本町の大半が焼失した。幕府の消滅に伴い幕府領が佐倉藩に編入された。
1869年(明治2年) – 葛飾県が設置され、その大部分が管轄となった。
10月-12月 – 東京新田の開墾事業によって、二和・三咲の集落が開村した。
1871年(明治4年) – 印旛県が設置され、その管轄となった。
1872年(明治5年) – 学制が頒布され、各地に尋常小学校(船橋小・宮本小・法典小・海神小・豊富小・八栄小の前身)が開校した。
1873年(明治6年)4月29日 – 明治天皇が、近衛兵の大演習のため、大和田原に行幸した。(史上初めて歴代天皇が県下に来幸)
5月13日 – 陸軍習志野原練兵場が二宮村に設置される。後に大和田町 (千葉県)大和田町・幕張町に拡張した。
6月15日 – 千葉県が設置され、その管轄となった。
1881年(明治14年)八栄村・法典村・二宮町・豊富村が宮内省管轄の習志野原御猟場となり、演習場内に御猟場事務所(現・郷土資料館近辺)が設置された。(後年、1925年廃止)
1889年(明治22年)4月1日 – 市町村制施行によって、当市域に以下の町村が発足した。
1894年(明治27年)7月20日 – 総武鉄道、市川 – 佐倉間開通。船橋駅が開業した。
1895年(明治28年)4月12日 – 下総中山駅が開業した。
9月21日 – 総武鉄道、津田沼駅が開業した。
1897年(明治30年)6月1日 – 総武鉄道の全線開通によって、東京から成田への日帰り旅行が可能となり、継場としての繁栄は終止符がうたれた。以後、特に海岸部は、商業・レジャー都市としての性格が強くなる。
1899年(明治32年) – 習志野騎兵連隊が編成された。
1900年(明治33年) – 11月27日習志野衛戍病院(後の習志野陸軍病院)が二宮村に設立された。
1903年(明治36年) – 古和釜農民(豊富村)が御猟場反対運動を起こした。
1907年(明治40年)9月1日 – 総武鉄道が国有化された。
1908年(明治41年)6月17日 – 国鉄総武本線、市川 – 船橋間(同年、船橋 – 千葉間)が複線化された。
1915年(大正4年)3月 – 海軍無線電信所船橋送信所が竣工(塚田村と葛飾町の境界近辺)した。
1916年(大正5年) – 陸軍騎兵学校が二宮村に移転した。
12月30日 – 京成電気軌道(現・京成電鉄)が船橋まで延長、京成船橋駅が開業した。
1918年(大正7年)7月 – 東華学校(現・県立船橋高等学校)が創立した。
1919年(大正8年)10月 – 松戸競馬倶楽部(現・中山競馬場)が現在地に移転した。
1923年(大正12年)9月1日 – 関東大震災が発生するが、被害は軽微。海軍無線電信所船橋送信所より、震災発生を全国に打電。東京方面から多くの被災者が流入した。
12月27日 – 北総鉄道(現・東武鉄道野田線)が船橋 – 柏間に開通した。
1925年(大正14年) – 八栄村・法典村・二宮町・豊富村にあった宮内省管轄の習志野原御猟場が廃止された。
1929年(昭和4年) – ツェッペリン号が習志野原に立ち寄った。
1933年(昭和8年)9月15日 – 国鉄総武本線、市川 – 船橋間が電化された。
8月1日 – 陸軍習志野学校が二宮町に開校(後に行政境界の改変により、習志野市に編入される)した。
1935年(昭和10年)7月1日 – 国鉄総武本線、船橋 – 千葉間が電化された。

船橋町の風景(大正から昭和初期)
市制後
1937年(昭和12年)4月1日 – 船橋町・葛飾町・八栄村・法典村・塚田村が合併して、船橋市となる。県下で4番目の市制施行された。
1941年(昭和16年)12月2日 – 海軍無線電信所船橋送信所を通じ「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号がハワイへ向けて航行中の真珠湾攻撃部隊に打電された。
日本建鐵船橋製作所などの軍需工場が移転して来た。
1942年(昭和17年)4月 – 東京初空襲の編隊が通過した。
1943年(昭和18年)8月2日 – 東部軍教育隊が二宮町に設置された。
1944年(昭和19年)
3月 – 閣議決定に伴い中山競馬場が閉鎖、軍馬集積場・軍医学校血清ワクチン製造所となった。
5月 – 局地戦闘機の「雷電」一号機が祝賀飛行のため市内に飛来した。
夏見台に高射砲が設置されるが、爆撃により破壊された。
1945年(昭和20年) – 二宮町空襲により、役場をはじめ、滝台と前原の一部が焼失した。
9月11日 – 太平洋戦争敗戦後、中国大陸帰還者受け入れのため、開拓農地開発営団習志野事業部による陸軍習志野錬兵場の緊急開拓が始まった。
大戦後から現在まで
1946年(昭和21年)
4月 – 千葉県血清製造所が設置(後に市川市国府台に移転)
6月 戦災地方巡幸のため、昭和天皇が戦災地・陸軍習志野錬兵場を含む旧軍施設を視察しに行幸。
9月、11月 – 東邦女子医学薬学専門学校・東邦女子理学専門学校(現東邦大学理学・薬学部)が大田区大森西より三山に移転。
11月4日 – 市立図書館(現・船橋市立西図書館)が開館。
1947年(昭和22年)12月27日 – 新京成電鉄 新津田沼 – 薬園台間が開通。
1948年(昭和23年)3月7日 – 船橋市警察署(自治体警察)が発足。
1949年(昭和24年)4月1日 – 船橋市消防本部(現・船橋市消防局)が設置される。
1950年(昭和25年)
8月21日 – 船橋競馬場開場。
10月29日 船橋オートレース場開場。
1951年(昭和26年)6月 – 旧騎兵学校跡地に警察予備隊(現・習志野駐屯地)が入営。
1952年(昭和27年)
7月28日 – 天然ガスの試掘に成功する。
12月10日 – 千葉県が船橋港の港湾管理者となる。
1953年(昭和28年)
3月25日 – 船橋港が港湾法に基づく地方港湾に指定される。
8月1日 – 二宮町を編入。人口が10万を突破。
1954年(昭和29年)
4月1日 – 豊富村を編入。
7月1日 – 船橋市警察署を千葉県船橋警察署(現・千葉県警察船橋警察署)と改組。
1955年(昭和30年)
9月30日 – 習志野台の一部区域を習志野市に編入。
11月3日 – 船橋ヘルスセンター落成。
1956年(昭和31年) – 東京湾域の大規模な埋立てが始まる(完成後、日の出・栄町・西浦となる)。
1958年(昭和33年)
9月26日 – 狩野川台風の来襲で、海老川沿いの宮本・本町・飯山満・前原などで床上下浸水の被害。
11月10日 – 国鉄西船橋駅開業。
1960年(昭和35年)
4月29日 – 京葉道路海神 – 一之江間供用開始。
10月1日 – 前原団地入居開始。
1961年(昭和36年)
8月25日 – 高根台団地入居開始。
10月1日 – 船橋港が港湾運送事業法に基づく二種港に指定される。
1967年(昭和42年)
2月1日 – 習志野台団地入居開始。
9月22日 – 国鉄船橋駅前に西武百貨店船橋店開店
1968年(昭和43年)
1月8日 – 船橋オートレース場が移転。
2月20日 – 夏見台団地入居開始。
6月1日 – 船橋港が港湾法に基づく千葉港の港域に編入。特定重要港湾に指定される。
1969年(昭和44年)
3月29日 – 帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)東西線、西船橋 – 中野間全線開通。船橋中央卸市場開業。
6月30日 – 若松団地入居開始。
7月15日 – 人口が30万人を突破。
1971年(昭和46年)
5月19日 – 旧海軍無線電信所船橋送信所解体作業開始。
8月28日 – 金杉台団地入居開始。
9月29日 – 地下水の過剰汲み上げによる地盤沈下が深刻化。市が地盤沈下非常事態宣言を発令[27]。
1972年(昭和47年)
1月1日 – 天然ガスの汲み上げを全面禁止とする。
8月1日 – 船橋港が植物防疫法に基づく輸入指定港となる。
1973年(昭和48年)10月14日 – 第28回国民体育大会秋季大会(若潮国体)。体操・馬術・ウエイトリフティング会場となる。
1975年(昭和50年)
2月7日 – 新京成電鉄、新津田沼 – 松戸間全線複線化。
7月10日 – 船橋港が港則法に基づき千葉港に編入。特定港となる。
1976年(昭和51年)3月31日 – 行田団地入居開始。
1977年(昭和52年)
4月1日 – 芝山団地入居開始。
5月5日 – 船橋ヘルスセンター閉館
10月7日 – 国鉄/東武野田線船橋駅前に東武百貨店船橋店開店
1978年(昭和53年)
1月20日 – 東京湾岸道路、千葉 – 東京間暫定供用開始。
10月2日 – 国鉄武蔵野線が西船橋まで延長。
1979年(昭和54年)3月9日 – 北総開発鉄道が小室・北初富間に開通。
1981年(昭和56年)
4月2日 – ららぽーと船橋ショッピングセンター(現在のららぽーとTOKYO-BAY)開業
10月1日 – 国鉄東船橋駅開業。
1982年(昭和57年)
2月1日 – 船橋東警察署開署。船橋警察署を船橋西警察署に改称(1991年に旧称に変更)。
9月22日 – 人口が50万人を突破。
10月10日 – スポーツ健康都市宣言。
12月19日 – 平和都市宣言。
1986年(昭和61年)
3月3日 – 国鉄京葉線、西船橋駅 – 千葉みなと駅間が開通。南船橋駅開設。
11月7日 – ヘイワード市(アメリカ合衆国カリフォルニア州)と姉妹都市提携を締結[28]。
1987年(昭和62年)
11月15日 – 「ワンパク王国」が開園[29]。
12月17日 – 千葉県東方沖地震発生。市内各所にて被害が発生する。
1988年(昭和63年)12月1日 – JR京葉線第2期工事完成 (新木場駅 – 南船橋駅間、市川塩浜駅 – 西船橋駅間)、二俣新町駅開業[30] 1989年(平成元年)4月6日 – オーデンセ市(デンマーク王国フューン県)と姉妹都市提携を締結[31]。
1992年(平成4年)9月14日 – 福祉と緑の都市宣言[32]。
1993年(平成5年)7月15日 – ららぽーとスキードームSSAWS開業
1994年(平成6年)11月2日 – 西安市(中華人民共和国陝西省)と姉妹都市提携を締結[33]。
1996年(平成8年)
4月27日 – 東葉高速鉄道、西船橋 – 東葉勝田台間が開通[34]。
10月25日 – 「ふなばしアンデルセン公園」が開園[35]。
2002年(平成14年)9月30日 – ららぽーとスキードームSSAWS同日限りで閉鎖
2003年(平成15年)4月1日 – 中核市に移行[36]。
2009年(平成21年)9月 – 人口が60万人を突破[37]。
2011年(平成23年)
7月7日 – 小中学生用の学習バス「キッズ船橋号」を東日本大震災の被災地福島県相馬市と岩手県大船渡市へ寄贈。名称・塗装ともにそのままで使用されている。
2016年(平成28年)3月21日 – 船橋オートレース場最終レースを終了[38]、同月30日で場外発売も終了、閉鎖。
2018年(平成30年)2月28日 – 西武百貨店船橋店が同日限りで閉店