四街道市

四街道市(よつかいどうし)は、千葉県の北部に位置する市。通勤率は、千葉市へ28.5%、東京都特別区部へ15.7%(いずれも平成22年国勢調査)。

概要

都心から40km圏内、県都・千葉市中心部からも8kmと利便性の高い立地条件である事から、JR四街道駅周辺はマンションや住宅地が立ち並び、首都圏のベッドタウンとして発展してきた。かつては四街道駅南口から228基ものガス灯が立ち並び、長さも約2,300mと日本一の長さであったが、現在[1]はLED化されている。

一方、梨、落花生などの生産が盛んな近郊農業地帯でもある。

歴史

かつて古代には物部氏に関係した下総国千葉郡物部(現在の物井地区周辺)と山梨(現在の山梨地区周辺)という里・郷名であった。中世期には下総国臼井荘へと変わり、約600年もの間「千葉一族」の所領となった。その後徳川家康により関東が平定され、江戸期には佐倉藩・幕領となった。幕末には下志津原に佐倉藩の砲術練習所が置かれ、その後1886年(明治19年)4月に「陸軍砲兵射的学校」が創立され、1897年(明治30年)に「陸軍射撃学校」と改称され四街道駅の北側に移転してきた。この事により、四街道の町は軍都として発展を遂げていく。1922年(大正11年)「陸軍野戦砲兵学校」と改称。しかし、終戦と同時に軍は解体(現在残るのは「陸上自衛隊下志津駐屯地)。その後、旧陸軍施設跡地は、宅地・行政・文教・商業施設などに転換され現在に至っている。

地名の由来
市名の由来は四街道駅から西に500mほどの場所(現在の「四街道十字路」)に「北 成田山道」「南 千葉町道」「東 東宇がね(東金)道、馬渡道」「西 東京、船橋道」と掘ってある駒形方形の道標石塔が建っており、4つの街道が交わっていることから「四ツ街道」→「四街道」という名が付いた(和良比地区に字・四海道も存在する)。ちなみに近くには御成街道や千葉街道、成田街道や佐倉街道(年貢道)があるが、成田街道と佐倉街道が交わるのは佐倉城下であり、これらの街道は四街道の地名とは直接関係がない。

前史
1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行に伴い、印旛郡千代田村(畔田・亀崎村役場)・旭村(鹿渡本村役場)が成立。
1894年(明治27年)12月9日 – 総武鉄道が開通し、四ツ街道駅が設置される。
1897年(明治30年)陸軍野戦砲兵射撃学校が、四ツ街道駅北側に移転してくる(鹿渡無番地)。周辺に軍需門前町(現在の四街道地区)が形成される。
1907年(明治40年)
9月1日 – 鉄道国有法により、総武鉄道が国有化、総武本線となる。
11月1日 – 四ツ街道駅が四街道駅に改称される。
1940年(昭和15年)12月23日 – 千代田村が町制施行し、千代田町(物井役場)となる。
1945年(昭和20年)
8月 – 陸軍野戦砲兵学校が、終戦に伴い解隊。
9月 – 同年6月の空襲で校舎が壊滅した千葉師範学校女子部が、野戦砲兵学校跡地に移転。
沿革
1955年(昭和30年)3月10日 – 四街道町発足 千代田町と旭村(馬渡は佐倉市へ編入)が合併し、人口18,014人の印旛郡四街道町が誕生。
1957年(昭和32年)1月1日 – 北部5集落(羽鳥、飯重、吉見、生ヶ谷、畔田)を佐倉市へ編出。
1959年(昭和34年)2月1日 – 大日の飛地を千葉市へ編出。
1981年(昭和56年)
4月1日 – 市制施行 国勢調査で人口が約6万人となり、市制規定人口(5万人)を超えたため市制施行を行い四街道市となる。(※同県浦安市と同日に市制施行。)
12月 – 四街道駅が橋上化される。
1990年(平成2年)6月1日 – 千葉市と境界変更。同日、佐倉市とも境界変更。
2001年(平成13年)5月5日 – 山梨地区にある工場の作業員宿舎で火災が発生、11人が死亡した。
2003年(平成15年)2月 – 四街道市の住民の発議により、千葉市との法定合併協議会が設置される。
2004年(平成16年)5月16日 – 「千葉市との合併の是非を問う住民投票」が行われ、反対票多数により千葉市との合併は白紙となった。
2006年(平成18年)12月1日 – 千葉市の一部を編入(境界変更)。
住宅地
1960年代以降、緑ヶ丘を皮切りに新興住宅地、おもには団地が次々に造成されて急速に人口が増加し、首都圏のベッドタウンのひとつとなる。