一宮町

概要

一宮町(いちのみやまち)は、千葉県長生郡にある町である。茂原市への通勤率は15.5%(平成22年国勢調査)。 キャッチコピーは「緑と海と太陽のまち」。 マスコットキャラクターは一宮いっちゃん。

歴史

玉前庄の一地域として栄えた。町域にある玉前神社が上総国の一宮であったことから、一帯を一宮庄と称されるようになり、以後「一宮」と呼ばれるようになる。
戦国時代には、一宮城が築城されたが、里見氏に攻められて落城する。
江戸時代には、脇坂氏や加納氏が一帯を治めている(一宮藩)。なお、加納氏と地元の関係は深く、廃藩置県後も旧藩主(久宜)が同町長を務めている。
明治中期から昭和初期にかけては別荘町として有名で、100軒以上が軒を連ね、俗に「東の大磯」と呼ばれた。著名な人物では斎藤実、上原勇作、加藤友三郎、平沼騏一郎、加納久宜、大河内正敏などがいた。
年表
1869年(明治2年) – 版籍奉還により、加納藩16代久宜は一宮藩知事となり藩庁を陣屋に置く。学問所(藩校)を開設、崇文館(すうもんかん)と名付ける。
1871年(明治4年) – 廃藩置県により、一宮藩が一宮県となる。玉前神社が国幣中社に列せられる。
1873年(明治6年) – 一宮西小学校(崇文館を仮校舎とする)、一宮東小学校、東浪見小学校、綱田小学校が設立。一宮郵便局開設。
1878年(明治11年) -一宮西小学校が一宮東小学校を統合し一宮小学校となる。
1879年(明治12年) – 一宮戸長役場を観明寺に置く。
1884年(明治17年) – 一宮警察署が茂原警察署の分署として発足。
1891年(明治24年) – 一宮区裁判所新設。
1894年(明治27年) – 一宮消防組設立。
1897年(明治30年)4月 – 房総鉄道大網駅 – 一ノ宮駅開通。一ノ宮駅旅客・貨物取扱い営業開始。
1901年(明治34年) – 東浪見小学校が綱田小学校を統合。
1908年(明治41年) – 11月 – 全国に先駆けて一ノ宮駅 – 一宮海岸の間で耕地整理事業が始まる(-1919年)。
1911年(明治44年) – 一宮海水浴場が出来る。
1913年(大正2年) – 芥川龍之介が一宮に来訪。
1914年(大正3年) – 一宮に初めて電灯が灯る。
1916年(大正5年)1月1日 – 一ノ宮駅が上総一ノ宮駅に改称。
7月 – 大雨にため一宮川が溢水し、宮原地区に被害。
8月 – 芥川龍之介が久米正雄と共に二度目の来訪。
1919年(大正8年) – 元一宮藩知事・元町長の加納久宜が死去、74歳。
1925年(大正14年) – 一宮実業学校(現在の一宮商業高校の前身)設立。
1930年(昭和5年)7月 – 大雨にため一宮川堤防が決壊し、宮原地区に被害。
1940年(昭和15年) – 一宮川潮止堰が完成。
1943年(昭和18年)11月 – 風船爆弾、1号が一宮海岸より打ち上げられる。
1944年(昭和19年) – 詩人の白鳥省吾が東浪見に疎開。
1945年(昭和20年) – 一宮町事件。
1947年(昭和22年) – 一宮中学校、東浪見中学校が設立。千葉地方検察庁一宮支部発足。
1958年(昭和33年) – 一宮中学校と東浪見中学校が統合。
1965年(昭和40年) – 両総用水が完成。
1967年(昭和42年) – 町役場本庁舎が現在地に新設移転。
1970年(昭和45年) – 町の木に「クロマツ」が選定される。
1972年(昭和47年) – 中央公民館が竣工。町内全域に上水道が整備完成する。長生郡市広域市町村圏組合消防本部南消防署が開設。(開設時は分遣所。1974年に分署、1982年に消防署へと昇格。)
7月15日 – 房総東線が全線電化完成し、外房線に改称。
1979年(昭和54年) – 当時日本最大級の省エネルギー温室団地が完成。東浪見海水浴場が出来る。
1982年(昭和57年)4月 – 山梨県一宮町(現・笛吹市)と友好町締結。
1987年(昭和62年)12月17日 – 千葉県東方沖地震(M6.7)発生。
1989年(平成元年) – 町の花に「ヤマユリ」が選定される。
1995年(平成7年) – JAグリーンウェーブ長生が完成。台風12号により、大きな被害を受ける。
1996年(平成8年) – 台風17号が房総半島に接近し、大きな被害を受ける。
2000年(平成12年) – 一宮町保健センターが完成。
2014年(平成26年) – 町役場新庁舎が完成[1]